オーストラリアへワーキングホリデーや学生ビザで渡航すると、多くの人が気になるのが「どんな仕事があるのか」「本当にローカルジョブで働けるのか」ということだと思う。
実際、自分もオーストラリアではかなり多くの仕事を経験してきた。しかも、そのほとんどが日系企業やジャパレスではなく、オーストラリア人が経営するローカル企業だった。
もちろん最初から順調だったわけではない。ファームで騙されたこともあれば、工場で働いたこともある。カフェ、学校のキッチン、結婚式場、コンサート会場、バー、ハウスキーピングなど、本当にいろいろな仕事を経験してきた。
一方で、「どうしてもやりたかったのに結局できなかった仕事」もある。
この記事では、自分がオーストラリアで実際に働いた仕事、働けなかった仕事、そしてローカルジョブを手に入れるために意識していたことについて、実体験をもとに紹介していく。
これからワーホリや留学を考えている人の参考になれば嬉しい。
オーストラリアで働いていた仕事
まず、私がオーストラリアで働いてた仕事について紹介していこうと思う。
いろいろな仕事をしてきたが、大体こんな感じ。
・木材工場
・ファーム (ポートマッコリーとバンダバーグ)
・キッチン (女子校や結婚式場、競技場など)
・コンサート会場 (バーカウンターやFoH)
・ハウスキーピング
・カフェ (オールラウンダー、バリスタ業務も含む)
1つずつ説明していく
最初の仕事は木材工場
オーストラリアで最初に働いた仕事は、ニューサウスウェールズ州のボンバラという田舎町にある木材工場だった。
この仕事は完全にセカンドワーホリビザを取得することが目的だった。
ただ、正直あまり良い思い出はない。
ボンバラは本当に何もない田舎町で、仕事以外にやることもほとんどなかった。それだけならまだ良かったが、結果的に騙されるような形になってしまい、精神的にもかなりきつかった。
オーストラリアでの最初の仕事がこの工場だったこともあり、「海外で働くのは簡単じゃない」という現実を最初に教えられた場所でもある。
韓国人エージェントの紹介でこの工場に入ったのだが、とにかく最悪の環境だった。
詳しくはこちらの記事でも書いてるので見てみてほしい。
ポートマッコリーのファームで1か月
その後はニューサウスウェールズ州のポートマッコリー近郊にあるファームへ移動した。
ここもセカンドビザ目的だったが、このファームでも騙されてしまった。
住んでいた場所はポートマッコリー市内から車で40分ほど離れた場所で、周囲にはほとんど何もない。
舗装されていない道が続き、携帯の電波も届かず、Wi-Fiもない。
日本にいると想像しにくい環境だが、本当に文明から切り離されたような場所だった。
結局ここでは1か月だけ働いて辞めることになった。
なんで騙されたかはこちらで詳しく書いている
バンダバーグのファームで4か月
次に移動したのがクイーンズランド州のバンダバーグ。
ここでは4か月間ファームで働いた。
このファームは今までとは違い、労働環境もしっかり整っていて、給与面も問題なく、安心して働ける職場だった。
ここで無事にセカンドワーホリビザ取得に必要な期間を満たすことができた。
結果的に、騙されたファームも含めるとファームだけで約5か月働いたことになる。
セカンドビザ取得だけを考えるなら遠回りになってしまったが、その分いろいろな経験ができたと思っている。
シドニーでキッチンスタッフ
セカンドビザ取得後はシドニーへ戻り、派遣会社経由で学校のキッチンスタッフとして働き始めた。主な仕事は女子校のキッチンでの皿洗いだった。
ときどきシェフの補助に入ることもあったが、基本的にはキッチンハンドとして働いていた。この職場は日本人が自分だけだったため、毎日英語しか使わない環境だった。英語力はこの職場でかなり伸びたと思う。
派遣会社にも評価してもらえたようで、平日はほぼ毎日フルタイムでこの学校へ派遣されていた。
オーストラリア生活の中でも、かなり充実していた仕事の一つだった。
学校以外にも派遣会社経由でさまざまな現場へ行った。
結婚式場では大量の食器を洗う仕事を担当し、イベントの日はかなり忙しかった。
また、当時存在していたANZスタジアムでもキッチンスタッフとして働いていた。
大規模イベントの裏側を見ることができる貴重な経験だったし、日本人もほとんどいないため、自然と英語を使う環境になっていた。
時給も比較的高く、楽しく働けた職場だった。
2024年から2025年にかけて、セカンドワーホリで再びオーストラリアへ渡航した際も7年前に登録していた同じ派遣会社に連絡したところ、再び仕事を紹介してもらうことができた。
メインは以前と同じ女子校のキッチンだったが、それ以外にもさまざまな仕事を経験した。
カフェのオールラウンダー
2回目のワーホリでは、ずっと憧れていたカフェでも働くことができた。
ポジションはオールラウンダー。
ハンバーガーを作ったり、接客したり、配達へ行ったり、ときにはバリスタを担当することもあった。
朝が非常に早く大変ではあったが、「オーストラリアでカフェスタッフとして働く」という目標を達成できたことは素直に嬉しかった。
ただ、残念ながらオーナーのパワハラがかなり激しかった。
物を投げられることもあり、このまま働き続けるのは危険だと判断して退職した。
海外だからといって我慢する必要はない。
職場環境がおかしいと感じたら、すぐ辞める勇気も大切だと思う。
その他
派遣の仕事ではキッチンの仕事以外にもバーカウンターの仕事や、FoH、ハウスキーピングの仕事もした。
コンサート会場ではドリンク販売やVIPラウンジでの接客を担当した。いわゆるFOH(Front of House)の仕事である。
この仕事は想像以上に英語力が必要だった。
注文を聞き、会話をしながらサービスを提供するため、キッチン以上に英語で苦労した仕事だった。
それでも、実際に働くことで接客英語はかなり鍛えられたと思う。
コンサート会場では他にもバーカウンターも担当した。
オーストラリアではビールやワインだけでなく、さまざまなアルコールを提供するため、ある程度知識も必要になる。
幸い、以前からオーストラリアで生活していたこともあり、お酒の種類はある程度知っていたため、何とか仕事をこなすことができた。
最初は不安だったが、経験してみると意外と何とかなるものだった。
ハウスキーピングの仕事も経験した。
職場はマンリーの山奥にあり、毎朝早起きして通勤するのは大変だった。しかし、一緒に働くスタッフは本当に優しい人ばかりだった。
部屋をきれいにしてお客様に喜んでもらえる仕事なので、体力は必要だったがやりがいも大きかった。

↑キッチンの仕事ではこんなのも作っていた
働きたかったけど無理だった職種
ここまで説明した通り、オーストラリアで多くの仕事をしてきたが、志望していたけど働けなかった仕事もある。
その1つがローカルのバーだ。
シドニー市内には「○○ Hotel」という名前のパブが数多くある。
当時はそこでビールを注いだり、お酒を提供する仕事に憧れていた。
そのためRSAとRCGの資格まで取得した。
しかし、何十件とレジュメを配っても全く採用されなかったし、当時は英語力もまだ十分ではなく、ほとんど門前払いだった。
一度だけ「採用するよ」と握手までしたにもかかわらず、その後連絡が来なかったこともある。
かなりショックだった。
日本人でローカルバーで働いている人は本当に少ない。英語力だけではなく、接客経験や現地経験も求められるため、難易度はかなり高い仕事だと感じた。
もう1つがITエンジニアとしての仕事だ。
実は2024年に再びオーストラリアへ戻った最大の理由は、ITエンジニアとして働きたかったからである。
1回目の留学を終えて帰国してから約6年間、日本でIT企業に勤務していた。
「これだけ経験があればオーストラリアでも働けるのではないか」
そう思って挑戦した。実際、スキル面では面接でも評価されることが多かった。
しかし、ワーキングホリデービザだと話した瞬間、採用担当者の反応が変わることが何度もあり、
結局、ビザの壁を打ち破ることは難しかった。
企業側としては長く働いてほしいため、期限付きのワーホリビザでは採用しづらいのだろう。
今でも日本でIT業界に勤めているため、将来的にもし再挑戦する機会があるなら、今度こそオーストラリアでITエンジニアとして働いてみたいと思っている。
どうやってローカルの仕事を手に入れたか
ここまで紹介した仕事は、ほぼすべてローカル企業だったが、「どうしてそんなにローカルジョブで働けたのか」と聞かれることがある。
答えは意外とシンプルで、「最低限の英語力」と「圧倒的な行動力」だった。
私の英語力はもちろんネイティブレベルではないし、語学学校でいうとUpper Intermediate程度。
言いたいことを最低限伝えられるレベルだった。
それでも十分勝負できた。
そして、それ以上に大きかったのが行動力だったと思う。
レジュメを100枚配るくらいの気持ちで応募し続け、断られても次へ行く。
面接に落ちてもまた応募して、それを繰り返す。
実際、一度は貯金が300ドルほどまで減ったこともある。
かなり焦る状況だったが、それでもローカル企業への応募をやめなかった。
その結果、仕事を獲得することができた。
もしあの時諦めていたら、その後経験した仕事は一つもできなかったと思う。
ワーホリではジャパレスで働き続ける人も多いが、もちろんそれが悪いわけではない。
ただ、「本当はローカルで働きたい」と思っているなら、一度自分の行動量を振り返ってみる価値はある。
英語力やスキルが高い人はもちろん有利だ。しかし、それ以上に最後まで応募し続ける人のほうが、最終的にはチャンスを掴んでいるように感じた。
これを読んでる人にもローカルジョブを諦めずに探してみてほしい。
このnoteに自分がどのようにローカルの仕事を手に入れたかを詳細に書いたので、
ぜひ参考にしてみてほしい。
まとめ
今回はオーストラリアで自分が働いてきた仕事について紹介した。
今回の記事をまとめると、
・オーストラリアではファームや工場、学校のキッチン、カフェなど、さまざまなローカルの仕事を経験した。
・バーやITエンジニアなど叶わなかった仕事もあったが、挑戦したからこそ多くの学びと経験を得ることができた。
・ローカルジョブを目指すなら、最低限の英語力に加え、諦めずに行動し続けることが何より大切だ。
オーストラリアでの仕事を通して、騙されたこともあったし、パワハラを受けたこともあった。
一方で、日本では絶対にできなかった経験や、一生付き合える仲間にも出会えた。
働けなかったバーやITエンジニアの仕事には今でも少し未練がある。それでも挑戦したからこそ、自分の実力や足りない部分を知ることができた。
これからワーホリや留学へ行く人に伝えたいのは、「最初からうまくいかなくても諦めないこと」。
ローカルジョブは決して簡単ではない。
しかし、最低限の英語力を身につけ、何度断られても挑戦を続ければ、チャンスは必ず巡ってくる。オーストラリアには、日本では経験できない仕事や出会いが数多く待っている。
ぜひ恐れずに行動して、自分だけのワーホリ・留学生活を作り上げてほしい。
また以下のnoteにどのようにしてローカルジョブを獲得してきたかを詳細に書いているので、
もしローカルジョブで働きたいと思っているのならぜひ見てみてほしい。
オーストラリアに3年間留学してジャパレスで1度も働いたことない私がローカルジョブで働く方法を伝授しようと思う

地球の歩き方 シドニー&メルボルン 2025~2026

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